ご先祖様を20代さかのぼると200万人!? 命のバトンと「血統の崩壊」の面白すぎる謎
ここ茨城(水戸周辺)で社会福祉士として日々ご高齢のご利用者様と接していると、お盆が近づくにつれて「昔の家族」や「お墓参り」の話題がぐっと増えてきます。
長い人生を歩まれてきた先輩方のお話を伺っていると、ふと自分のルーツについても考えさせられます。「私のご先祖様って、顔と名前が一致するのは祖父母までだけど、ずっと昔までさかのぼったら一体何人いるんだろう?」と。
そこで今回は、命の繋がりを数字で紐解いてみました。実は計算していくと、とんでもない宇宙規模の人数と、ある面白すぎる矛盾にぶち当たるのです。
世代をさかのぼる「命の倍々ゲーム」
計算は至ってシンプルです。私には両親が2人、その両親にはそれぞれ祖父母が4人、曾祖父母は8人と、世代を1つさかのぼるごとに人数は倍に増えていきます。
これを計算式にすると、こうなります($n$ にさかのぼりたい代数を入れます)。
10代前:ちょっとしたフェス規模
倍々ゲームで10代前まで計算すると、その世代だけで1,024人。
両親から10代前までの全員を足し合わせると、合計は2,046人になります。すでに地域の夏祭りの来場者くらいの人数ですね。
20代前:茨城県の総人口レベル!?
同じように20代前までさかのぼると、20代前単体でなんと1,048,576人。
1代前から累計すると、なんと2,097,150人(約210万人)!
私の住む茨城県の総人口(約280万人)に匹敵するレベルの人間が、私の誕生に関わっていることになります。
時代背景でいうと、1世代を約22年とした場合、20代前は「約440年前」。
織田信長が安土城を築き、本能寺の変が起きた激動の安土桃山時代です。その時代に生きていた100万人のうち、誰か一人でも欠けていたら今の私は存在しません。
私はよく休日に趣味でガンプラを組み立てるのですが、この家系図はまるで「200万個のパーツで構成された超絶難易度のプラモデル」のようです。たった1つの極小パーツを紛失しただけで、現在の「私」という機体は絶対に完成しないのですから、命の連鎖には震えるものがあります。
30代・40代前:地球の限界を突破
さらに時を戻し、一休さんがいた室町時代(30代前)までの累計は、なんと約21億4,700万人。
40代前になると、約2兆1,990億人という、もはや天文学的な数字に達します。
2兆人?ここで発生する「血統の崩壊」というエラー
ここで、「あれ?昔の地球にそんな何十億人も人間はいなかったよね?」と気づいた方は非常に鋭いです。
実はこの倍々ゲームには、「全く血の繋がりがない他人同士が結ばれ続けた」という現実にはあり得ない前提があります。
実際には、昔は今のように交通網が発達していないため、同じ地域での婚姻がほとんど。つまり、さかのぼればさかのぼるほど「遠い親戚同士の結婚」が繰り返されてきたのです。
系譜学ではこれを「血統の崩壊(Pedigree collapse)」と呼びます。
この現象、個人的にはものすごく腑に落ちました。というのも、私が日頃運営しているアフィリエイトやランキングのWordPressサイトの裏側と全く同じだからです。
2,000ページを超えるような膨大な記事データをPythonの自動化スクリプトでメンテナンスしていると、途中で必ず「重複記事(全く同じデータ)」が見つかり、エラーとして処理して一括削除する必要があります。
人類の歴史もこれと同じで、家系図という巨大なデータベースをさかのぼって処理していくと、あちこちで「重複するご先祖様」がヒットするわけです。「血統の崩壊」なんて恐ろしい名前がついていますが、要は「人類みな兄弟(親戚)」という壮大なエラー(事実)なんですよね。
社会福祉士として、そして一人の孫として思うこと
「自分が生まれるまでに2兆人の命のバトンがあった!」と思うとロマンがありますが、規模が大きすぎて実感が湧かないのが本音です(笑)。
社会福祉士の仕事をしていると、人生の最終章を穏やかに過ごそうとしている方々の「生の声」に触れます。そこにあるのは、何百万人という壮大な歴史ではなく、もっと手触りのある「身近な人への愛」です。
私自身、ご先祖様と言われて真っ先に思い出すのは、やはり自分を直接可愛がってくれた4人の祖父母です。
初めてのプラスチックモデル作りに悪戦苦闘していた時、口や手は出さずに、横でニコニコしながらずっと見守ってくれた、手先が器用だったおじいちゃん。 「目立たないものの中にこそ、本当の価値が隠れているんだよ」と、今の私の価値観や銘柄選びのルーツ(?)になるような言葉をくれたおばあちゃん。 道具のカテゴリ分けや整理整頓にやたらと厳しく、私が今やっている大量のデータ整理や自動化作業の原点とも言える、几帳面なおじいちゃん。 そして、冬になるとストーブの上で地元の「ほしいも」を少し焦げ目がつくまで炙って、いつも一番甘くて美味しいところを私にくれたおばあちゃん。
2兆人という途方もない人数のデータよりも、私にとってはストーブで炙った甘い「ほしいも」の記憶や、不器用に組み上げた模型を褒めてもらった思い出の方が、何倍も温かくて重みがあります。
お盆の時期。ご先祖様の数という壮大なミステリーに思いを馳せつつも、手を合わせるときは、あなたに一番愛情を注いでくれた「あの人」の顔を思い浮かべるだけで、きっと十分供養になるはずです。今年の夏も、暑さに負けず真面目に仕事(とサイトの更新)を頑張ろうと思います!

